運命は人生のガイドラインを提示しますが、その道を作っていくのは運命の主人です。
占いを勉強する理由
占いを勉強している理由は、ほとんど本人と家族、または運命を知りたい、または占い師になるためだ。
私もそんな理由から勉強を始めたが、今はちょっと違う角度から見ている。
決まった運命を知れば果たして幸せだろうか?
懐疑的な思いがする。ほとんどの人は決められた事件、事故に対処する能力がない。
心配でストレスがさらに加重されるだけだ。もちろん、運の流れをよく把握して、事件、事故の時期を正確に予言する占い師も多くはない。
占いを勉強していると、良い運よりは悪い運の方がもっと多いことに気づく。良くない運にとらわれ、日常生活が萎縮する顧客もいる。
こういう人たちの中には「知らないのが薬だ」と言う人も多い。しかし、私はそうは思わない。分かれば避けることができる。 何も知らないなら、対処できる機会をただ逃してしまうことだ。知らない時間の中で自分の存在はもっと弱くなり、無気力になり、回復する機会を拒否するのと同じだと思う。
同じ四柱命式を持って生まれたからといって、同じ運命で生きるわけではない。
親が違い、会う人が違い、生きていく空間が違い、やりたいという意志が違うからだ。
同じ四柱命式というのは同じ時期に同じ事件が起こるのではなく、運の傾向曲線が同じだという意味だ。
似たような事件や事故にあっても、ある人は物質的、精神的な衝撃が激しく、ある人は衝撃が、ある人は衝撃が弱い。生活の環境によって心構えが違うか、危機に対処能力が違うからだ。事件事故の発生時期を知ることも重要だが、それを知った後の危機を乗り越える気構えがどうなのかを察することが、より重要だ。
だからこそ
命式自体に心配事が多いお客様に、心が健康になる各種方便を知らせ、開運させるのが私の務めだと思う。
幸福の反対語は不幸であり、不幸の反対語は幸福である。
幸福とは不幸でない状態をいう。
しかし、多くの人々は足りないものが満たされたり、感情と気持ちが楽しくなれば幸せだと錯覚する。足りないものが満たされれば、たちまちまた足りないものが生まれるようになり、楽しい感情と気分はたちまちより高い価値を求めるようになる。存在感を求めるようになる。
幸せになるためには一人でもよく遊ばなければならない。
一人でも寂しくない時、必要なことがない時、安らぎと幸福が訪れる。幸せは欲しいものを持つものではない。欲しいものがない状態は、安らぎと幸せだ。
幸福は持っているものに満足する時、安らぎと幸福が訪れる。
誰かが"すべての人間は寂しさと存在感のシーソーに乗っている" と語った。
寂しさが解決すると、直ちに存在感を持ちたがる。その存在感も時間が経てば、再び寂しさが訪れる。寂しさを解決するためにあちこちをさまよう。何かを通じて寂しさが解決されれば、直ちに存在感を持ちたがる。
昨日も姑を殺したい衝動を覚える嫁と相談した。
夫が憎く、姑に憎い感情が生じたのは自分が敬ったことに比べれば相手の言葉と行動がそれに及ばないからだ。つまり、補償心理が強すぎたからだと思う。
キリスト教では仇のために祈れという。
それがそんなに簡単なのか?
命式に心が健康でない人は、わざと善良になろうとしないように勧めたい。
後に自分の補償心理のために憎しみが芽生え、心の傷が残るからだ。
人生のお悩み事について相談が必要な方はいつでもお問い合わせください。
-昭晴-
昭晴占い鑑定所では
恋愛、相性、結婚、不倫、浮気、離婚、相手の心理、金運、健康運、仕事運などの
日常の中のさまざまな悩みを相談して運勢をアップさせていただきます。
コメントをお書きください