運命は人生のガイドラインを提示しますが、その道を作っていくのは運命の主人公です。
四柱推命 運勢相談の際、通弁の基準点は?
四柱推命学の勉強をするときそれぞれの用語と状況があるが。。。
これを私たちの実生活に(または社会的現象に)どのように当てはめ、どのように定義づけばいいのか簡単なことではない。
例えば子平眞詮で格局が成格になるとその人が器が大きいと定義づけられるが...
この器が大きいという意味が···
力が強いということか?
元気だということか?
度胸がいいということか?
周りの人脈が多いということか?
賢いということか?
意志力が良いということか?
これもあれでもないなら
ただ何の理由もなく日干の勢力さえ強ければ、自分の人生が万事に通ずなのか?
残念ながら古書には明確な定義はない。ただ抽象的な比喩法と具体的な過程なしに "OOOがどこにいるとどんなことが起こる"、"OOOが運から入ってきたらこんなことが起こる"、"OOOが多ければこんなことになる"...という結論だけ出ている。
ただ、後学が前後状況と様々な論理を組み合わせ、それなりに用語の定義を下すだけだ。例えば、月支が職場であり、日支は配偶者の宮である。財星はお金で、印星は勉強だ。こんなやり方だ。
その用語と状況の定義が"合理的か?" "非合理的か?"をめぐって論争し合いながら、今日の四柱推命学がこのように発展してきたのだ。
相談しながら広い視野で多様性を持って通弁するのが良いが。。。
何の論理もなく"私に教える先生がそうだと言ったから"、"本にそう書いてあるから"というふうに、そのまま受け入れるのは確かに問題だ。
たった一言を言っても、自分が言ったことはそこに正当な論理がなければならない。そんな論理のない人たちが十年間勉強しても発展性がなく、二十年間現業で相談しても、自分自身さえ納得できない通弁をろ過なしに相談者に吐き出すのだ。
"駅馬殺があったら海外に出て海外生活をする!"と通弁したら~
なぜ駅馬殺は遠くまで移動するのか。もし駅馬殺を移動と仮定したら、なぜあえて海外と通弁するのか?(移動というのが国内移動もあり得るのだが)
その移動が恣意的な移動なのか?
他意的な移動なのか?
個人の問題なのか?
社会の問題なのか?
移動という意味自体が、
人が落ち着かなく、街を歩き回っているのか?
それとも、また違う意味を与えることができるのか?
少なくとも、この程度のことを考えて通弁をしてこそ、自分の勉強にも発展があると思う。ただ、人がそうだと言ったから、今までそうしてきたから、有名な占い師たちがそうだと言ったから。そんなふうに 相談して的中すれば幸いで、そうじゃないと仕方ないと思ったら実に無責任な態度だ。
結論的に言うと
間違ってもそれなりの論理がなければならない。
このような考察から通弁の基準点が立てられるのである。
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-昭晴-
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