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身弱は本当に弱い存在なのか。
四柱推命の勉強を始めた時、ほとんどの人が聞いた言葉の一つが、
日干が身弱だと意志力が弱く、臆病で、鋭敏で、なんだかんだと…。
逆に身強は自信あり、意志力が強く、頑固で、臆病もなく、なんだかんだと…。
人の心は無数の形で表われるが、そのうち意志力を論じる時は身強・身弱の抑扶論で判断するが…
この部分が問題が多い。
では、なぜ人の意志力を区分する際に身強・身弱の判断に問題があるのか見てみよう。
皆さんは、身強・身弱の基準点は何だと思いますか?
比劫と印星の多い命式?
70点の答えだ。
正確に表現すると、日干の根の多い命式(生地、緑地の根)を身強という。
日干の根が少ないか、ない命式を身弱という。
それではなぜ比劫と印星が多ければ「身強」と言うのか。すべての天干が比劫と印星に根を置いているためだ。
(庚、辛は例外的に比劫と印星の他に官殺にも根を置く/巳は金の長生地)
身強・身弱の基準点は基本的に地支になる...(天干でも判断するがそれはあくまで通根になったときの話)
地支というのが環境を意味し、地支が比劫と印星で旺盛だということは...
同僚と後援者の支持を受けて自信が生まれるという意味だ。
身強の自信は一言で、動機づけだ!
言い換えれば、身強というものは日干が自信を持てる一つの条件に過ぎない。
本質ではないのだ。
もちろん条件も重要でしょう。しかし条件より本質が優先ではないか。
命式の本質は日干だ。なぜ本質である日干を無視してしきりに条件である身強・身弱だけを見て人の意志力を判断するのか。
陽は自ら動くものであり、陰は相手(または環境)によって動かされる。
自ら動くということは、周辺の環境に気を遣わず、自分の道を歩むという意味である。
それで、陰日干は簡単に從格になるが、陽日干は簡単には從格にならない。
陰日干は月支が比肩であれ劫財であれ大差ないが、陽日干の月支劫財を羊刃格と言い、別に分類しておく。
陰日干は月支以外にも他の地支に根を置くことが身強の条件となるが、
陽日干は月支一つだけ自分の季節を得ても身強になりやすい。
甲・丙・戊・庚・壬の陽日干は乙・丁・己・辛・癸の陰日干に比べて必然的に意志力が強くならざるを得ない。
その代わり、陰日干は陽日干に比べて親和力が良い。
陰は相手(または環境)を意識して影響を受ける存在だからだ。
同じ火だとしても、丙は自ら燃やす火(太陽)、丁は誰が火をつけてあげれば燃える火(灯火)だ。
陰と陽というのがこの差だ。身弱の丙と身強の癸があるとすれば、どちらの意志が強いと思う?
身弱の丙だ。
「丙」は陽中の陽で、「癸」は陰中の陰だが、いくら身強という条件を備えても、「癸」が「丙」より意志が強いことはできない。
例えば、
頭が良くて勉強に関心のある学生がいる。
この学生は貧しくて一人で独学すると仮定して...
頭が悪くて勉強に関心が全くないが、この学生は家が金持ちで月に百万円を支払う課外授業の先生が教えると仮定してみよう!
二人のうち誰が勉強がもっとできるのか。当然貧しい家の頭のいい学生だ。
本質的に頭が悪く勉強に関心がないのに、条件的に高い値段の課外授業を受けたからといって成績が上がるだろうか。
もちろん、課外授業を受けなかった場合との違いはあるだろう。
本質が似ていれば当然条件のいい人が有利だろう...
しかし、本質が大きく差が出るので、条件としてその差を埋めることは可能でしょうか?
絶対にできないことだ。
したがって、癸日干がいくら身強であっても、陽中の陽である丙日干より意志力が強いことはできないのである。
意志力の強い順番をつけると…
身強の陽日干 > 身弱の陽日干 > 身強の陰日干 > 身弱の陰日干... このような順序で見ることができる。
そのうえ、調喉で命式が熱ければ(特に男、男自体が陽なので)いくら身弱でも意志力の強い人だ。
命式が燥、湿というのは陽の気が強すぎるという意味だからだ。
陽は意志が強く、陰は執着が強い。
陽的性向が大きいほど意志が強くならざるを得ない!
その基準は、
下をクリック
リンクを見ればある程度判別できると思う。
もちろん、四柱推命が少しでも勉強された方だけが聞き取れる内容だ。
よくわからないと思ったらそれでいい。
身強・身弱を否定しようというのではない。 身強・身弱も人の意志力を判断する尺度になるだろう。
しかし、なぜ本質である日干を無視し、また別の変数である調喉も無視するのか。
本質である日干を無視し、他の条件である調喉も無視して身強・身弱だけで意志力を判断すると...
しきりに現実とかけ離れた結果が出るのだ。
「身強なら無条件意志力がよく」、「身弱なら無条件意志力が弱い」という前提を捨ててこそ、命式を客観的に見ることができる。
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